不知火文庫

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ブルーな紅茶

 砂は完全に落ちきっていた。時間は枠を超過し、測定不能な領域へ突入していた。容器には赤褐色の液体が入っている。明らかにいつもより暗い色だ。急がなければ。慌てて容器から赤褐色の液体を別の容器に注ぐ。思わずため息が漏れる。赤褐色の液体を一口すする。苦い。予想はしていた。覚悟はできていたとはいえ、またため息が漏れる。

 紅茶には人をあわただしい時間から遠ざける効果がある、というのが私の持論だ。しかし、忙しい時間の真っただ中では、あわただしい時間から避難するための時間さえも取れないことがある。砂時計から落ちる砂とフレンチプレス内に舞う茶葉よりも、目の前にある仕事を見つめなくてはならないのだ。紅茶を楽しむ余裕もない。あったとしても、そういうことをすると周囲の目が痛くて楽しめない。

 こういう状況で紅茶を淹れようとすると、あわただしい時間とおちついた時間に挟まれて、そのはざまを漂流することになる。こういう中途半端な状況にあるときに事件は起きる。砂時計から目を離して作業に集中しているうちに、紅茶を蒸らしすぎてしまっていた。

 粋な飲み方からは程遠く、優雅さのかけらもない。手元にあるのは仕事の山と、苦すぎる紅茶。これが現実だ。仕事は何とかなる。問題は紅茶だ。この紅茶をどう処理するか。フレッシュを入れるか、それとも、砂糖を入れるか。しかし、どちらも私の好みではない。この紅茶のせいでますます気が滅入っていく。

 ふと、冷蔵庫の中に生クリームが置きっぱなしになってていることと、私の引き出しの中にはちみつが入っていることを思い出した。少し贅沢な濃厚ミルクティにしよう。

 出し過ぎて苦くなった紅茶に生クリーム、その上からたっぷりとはちみつを注ぐ。一口飲んでみる。甘くて濃厚だ。ロイヤルではないミルクティ。予定外のミルクティ。後悔を乗り越えた後の優しい甘みは、待ち構えている関門に立ち向かう力を与えようとしてくれているかのようだ。たまにならこういう飲み方も悪くない。

 ミルクティを飲みながら、つかの間の甘いひとときを過ごす。失敗したときにもそれはそれで楽しめる、そんな知恵と余裕を持っていたいものだ。失敗も含めて楽しめる方が幸せだし、たまに予想外のことが起きる方が好ましい緊張感や集中力をもって茶に向き合える気がする。そういう意味では、失敗する可能性がゼロではないということは悪いことばかりではないのかもしれない。

 同時に、茶はぞんざいに淹れると風味も色も活かしきれなくなることと、時間を大切にせずに淹れると後悔が待っていることも忘れないでいたい。いくら知恵と余裕があっても、根本に茶を大切にする気持ちがなければ茶を楽しむことは難しいのだ。

 これは何も茶に限ったことではなく、人生や他の大半のこともそうかもしれない。そんなことを思ったあわただしい昼下がりだった。