不知火文庫

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情熱の置き場

「語ることがないんだ。語りたいものが何かわからないし、語り方もわからない」

「それでも、後に続くもののために何かを遺していくのが学者や芸術家というものではないのか」

 そうだと思う。だから、今も遺そうとしているんだ。君はそういう風には思ってくれないようだけど。

「うん。でも、今はそんな気持ちにはなれないんだ」

「表現したいことをうまく表現できないからか」

「うん」

「表現できないから作らないのか」

「たぶん」

 そういって私は席を立った。たぶん、君が思っているような理由じゃない、とは言わなかった。これ以上彼と話していたくない。遺したくても遺せない、遺したいものも遺し方もわからない。情熱の置き場がない。その苦しみをわざわざ説明したくない。

 どんな説明をしても、彼の耳には言い訳に聞こえるだろう。そして、彼はまず作ればいいというだろう。遺したいものが何かさえ見失いそうな私にはそれすらできない。私はそんなことを説明するために言葉を使いたくない。

 もう一度作りたくなるそのときまで、放っておいてくれ。そうすれば、また立ち上がれるときがくる。

 責任だとか、まずはやるべきとか、言い訳だとか、義務だとか、効率的な方法だとか、そんなことについて話したり説明させられるのがうんざりだった。そんな言葉では奮い立たない心があるのだ。

「もし私のために何かしたいというならば……」

 沈黙する。彼が嬉しそうに私の顔を見る。

「今すぐここを出て行ってくれ」

 

 どうせ君にはわからない、というのさえ億劫だ。自分の殻に閉じこもっているだけだといわれるだろうから。誰しもがそんな強い人間側の解決策を取れるわけではない。彼は致命的にそのことを見落している。作る苦しみも理解できないだろう。私とは全く違う人間。嫌な人ではないが好きにはなれない。

 私はこういうことを話すのが好きではない。だから話さない。その沈黙を無遠慮に土足で荒らす彼を疎ましく思った。こういう強者は話していてうんざりする。

 彼のような人間は世間に流布した正論を盾に自らを正義で固める。弱っている人間にも配慮なしに正論をぶつける正義の代行者になる。

 

 私はそんな代行者とは語りたくない。そんな代行者の側に立ちたくない。

 

 

 私はただ、自分の情熱の置き場を見つけたいだけだ。

 

 

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