不知火文庫

私設図書室「不知火文庫」の管理人が運営しています。

悲しみは遅れてあなたに忍び寄る

 私は幼い頃あの出来事を経験した。周りの人々はひどく悲しんだらしい。だが、私はあの経験を悲しいと感じることができなかった。私は幼かった。たぶん、私は自分の悲しみをうまく悲しみとして認識できるほど心が成長していなかったのだろう。

 大人になっても私がその経験が悲しいことだと認識することはなかった。自分はあの出来事についてはほとんど何も感じていないのだろうと思っていた。現に、ほとんど何も感じず、思い出すこともまれだった。

 だが、それは私が心に傷を負わなかったということを意味してはいなかった。悲しみとして認識されなかった感情は、行き場のない淀みとして私の奥底に沈められた。 

 

 ある日、放置され続けたその感情が遅れて私に追いついた。悲しみを悲しみと認識する力を抑え付けてきたつけを払うときがきた。悲しくないならば平気だというわけではないものがあるということを、その時初めて理解した。

 遠い昔、悲しみになり損ねた感情は今も私の中で行き場を求めて彷徨い続けている。

 

 きっと誰もがそうなのだろう。今この瞬間の心と身体はひどく不安定な土台の上に立っている。私たちの日々の平穏は、今この瞬間に感じるはずだった悲しみを先延ばしして得られたものかもしれない。今この瞬間も、悲しみと認識することのできない傷を心の中に抱え込んでいるかもしれないのだ。

 

 悲しみになる前の心を悲しみとして認識できればどれほど幸せだろうか。それはいつか勇気になる。

 悲しみになる前の心を悲しみとして表現できればどれほど幸せだろうか。それはいつか愛になる。

 悲しみになる前の心をどうか見逃さないで。

 

www.youtube.com