不知火文庫

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室町

 線香を取り出して軽くにおいを嗅ぐ。カレーのスパイスのような香りが鼻腔の奥をくすぐり、すぐ後に白檀が続く。音楽はかけない。この線香は自然の音と合わせる方が良さが引き立つ。

 マッチを箱の側面でこする。燐が爆ぜる音とともに少し大きめの炎が生じる。暫くすると炎の勢いは弱まる。その頃合いを見計らって、マッチの頭を下に向ける。するとマッチの軸に炎が延びて、炎が勢いを取り戻す。着火の頃合いだ。

 線香の先端をマッチの炎に向け、線香に着火する。線香に火が着いたことを確認し、人差し指と中指で挟んだマッチを親指で軽く弾く。炎が消え、煙が立ち上る。微かな酸味を含む焦げたにおいが漂ってくる。マッチの火を消し終わったら、次は線香を軽く振って火を消す。火が消えるとすぐに煙が立ち上りはじめる。

 最初のうちはマッチから出る煙のにおいと混ざってしまい、あまり心地よい香りはしない。しかし、マッチの煙はすぐに消え、すぐに沈香の心地よい香りが部屋の中に広がっていく。最初に心地よい香りがしないのならば、マッチを使わずライターを使えばいいのかもしれない。たぶん、その方が線香をあげる作法としても、香りを楽しむ作法としても適切だ。

 しかし、私はマッチで着火する。理由はわからない。たぶん、なんとなくその方が雰囲気が出る、というくらいのものだと思う。感覚的にマッチで着火する方が気分がいいのだ。

 少しずつ線香の香りが空間に充満していく。空気とその場にあるものが浄化され、空間全体が高貴なものになったかのようだ。この香りに包まれると、すごく気分が落ち着く。感覚が研ぎ澄まされ、集中力は高まる。線香から立ち上る煙を眺める。まっすぐに上に昇っているかと思えば、急にうねりだしたり横になびいたりする。そして、やがて空間全体に飲み込まれて砕けていく。その様子はまるで岩に砕かれる水のようだ。

 撥を手に取り鈴を二回鳴らし、瞳を閉じて仏壇に手を合わせる。祖父をはじめとする先祖のことを思い浮かべ、先祖の方々に自分の心掛けや抱負を伝える。見守ってください、と心の中でそっと祈る。

 しばらくすると、瞳を開く。立ち上がって仏壇を後にする。そして、祖母のいる居間へ向かう。ここでも一本、線香を焚く。祖母と一緒に香りを楽しみながら、先祖を偲んだり、日々のできごとや遠い過去に起こったことの話をする。私はこの時間が結構好きだ。あと何回、祖母と線香を楽しみながら会話できるだろうか。

 ふと、今まで続いてきた「もの」の流れを感じた。私が生まれるために必要だったあらゆるものが集まって、私は生まれた。その流れは私が生まれた後も、連綿と続き、今の私に行きついている。私はたくさんのものを受け取っている。先人たちは受け取ったものを次の人々に受け渡してきた。私はどうだろう。私も受け渡せているだろうか。その問いに答えはない。ただ、少しでも受け渡すことができるように、日々を大切に生きよう、そう想った。

 

【追記】

マッチで線香に火を点けるのは不作法なのだろうか。