不知火文庫

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完全さとファインチューニング

 完全なものは存在しない。抽象概念も具体物も何もかもが完全ではない。どこかに必ず綻びがある。それに気づかないか目を瞑るかしない限り完全さは存在することができず、そうして守られた完全さは不完全さの上にしか成り立たない。

 「完全」の定義は変幻自在で安定しない。完全さを求めるものは、完全へ向かうことはできる。しかし、それは蜃気楼の砦や砂上の楼閣を完全な城塞だと信じて彷徨うようなものだ。完全なものは存在する、と確信して完全さを求め続けても、彷徨うだけでいつまでもたどり着くことができず、いたずらに自身をすり減らしていく。

 

 完全なものが存在しないこと、少なくとも存在しないかもしれない可能性を受け入れられれば、完全なものが存在しないことの害をほとんど受けずに生きていける。受け入れられれば、その後完全さを求めても、完全さを放棄しても、その両端をうろうろしても、危険なほど身を削ってしまう危険性は格段に減る。完全なものが存在しないかもしれないと受け入れたことが護身符のように身を守るからだ。

 

 完全なものが存在しないことの害は、完全なものが存在しないことを受け入れられないままに完全なものを追求するとき最大になるのだ。その状態に長く身を置いてはならない。

 

 

 私の文章もまた不完全だ。しかし、そこから完全さの片鱗を感じさせることくらいならばできるようになるかもしれない。完全なものに関する観念を抽象的あるいは象徴的に描写したり、完全なものが存在する様子を具体的に描写したりすることで、完全さを不完全に切り出すことはできるかもしれない。

 

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 世界はいつも機能不全に陥っている。しかし、わずかに遅れて絶えず準最適なファインチューニングをされ続けている。より緻密に、完全に、ものを切り抜くことを追い求めて。今この瞬間を完全に近づけるために動き続ける。

 

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 ものの不完全さと世界の機能不全はこの世に順序列という動という形態を生み出した。たぶん、その性質に理由はない。きっとそれは世界が生来的に持っている情熱のようなものなのだろう。