不知火
私は真剣だった。真剣だから息苦しくなり、ついに「扉」の先を知ることは叶わなかった。そして、今もここにいる。
私は見失いそうなほど夢中で探した。そうすると何かを掴めそうになる。そして、掴む。しかし、何かはいつもすり抜けた。あるとき、逃さず掴んだことがある。しかし、掴んだものは空だった。結局私はいつもと同じところへ行きついた。
倦怠と絶望に飲み込まれそうになる。いっそ溺れてしまおうか、そう思ったこともある。溺れきってしまえれば、そこには一片の救いを見出せる。そんな気持ちになっていた。
今から思えば、それは世界あるいは環境が偶然私たちに投げかけた淀みから生まれた呪いだった。それら一つ一つは些末な淀みだった。呪いというものですらなかったかもしれない。しかし、澱のように少しずつ、確実に蓄積されていった。おそらく、誰一人としてそれが呪いになるかもしれないということに気づいていなかった。
いつからか、些末な淀みの集積体は無視できない歪みになり始めた。歪みはゆらめきながら大きさを変えることはあっても、消えることなくいつも私たちに付きまとった。しかし、私以外は誰もその歪みを気にしていないようだった。そういうこともあるだろう、と。あるいはそんなことさえも感じていなかったかもしれない。
そうしている間にも歪みはますます成長した。人はゆるやかな変化には敏感でない。少しずつ取り返しがつかなくなってきていること、単なる誤差や振れ幅ではなく何かがおかしいということに気が付かなかった。この段階ではもう気づいていたが、どうすることもできなかった人もいるかもしれない。私がそうであったように。
やがて誰もが歪みに気づき始めるた。それはもう呪いといってよいほどにはっきりとした、大きな歪みになっていた。もはや私にも周りの人々にもどうすることもできない潮流になっていた。
それは環境が生み出し、私たちの意識と無意識と無関心が育てた呪いだった。そこにはもう救いはなかった。
私は全てを清算してしまいたいと願った。しかし、結局それさえも叶わなかった。そして、「扉」を失った。しかし、そのおかげで今も私はここにいる。今もこうして生きている。
気が付けば呪いははるか遠く、ゆらめく不知火のようになっている。その中に、一瞬扉がみえたような気がした。