不知火文庫

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終着駅

 私の責任じゃない、と彼が叫ぶ。

 確かに私が知る限り彼に責任はない。少なくとも私の感覚では。しかし、それを証明して何になるのだろう。責任がなければ苦難が回り道して私たちを避けてくれるというわけではない。ほとんどの苦難は責任があろうとなかろうと容赦なく私たちに襲いかかってくる。

 責任がないことを証明すれば免罪符は得られる。だが、免罪符が有効なのは人間が管理統制できるごく限られた領域だけ。それ以外の領域では、免罪符は私たちの安全を保障せず、私たちを受難から護ることもない。

 責任がないことを示せたとしても、当事者は結果を引き受けざるを得ない。運命に抗うか従うか、今の彼に選べることは多分それくらいしかない。

 

 彼は叫び続ける。助けてください、許してください、という叫び声がこだまする。

 責任は苦難が通り過ぎた後に追及される恐れのあるものとして我々の行動に一定の規律を与える。だが、目の前にある問題についての具体的な解決にはほとんど貢献しない。責任がないことを示したり、責任者を探してことの収拾を押し付けても目の前の苦難は立ち去ってはくれない。

 彼は社会システムや他人の不備のせいだと主張し始めた。確かにそうかもしれない、と私も思う。しかし、事実それが妥当な意見だとしても、その正当性が彼を救うことはない。彼の正当性で救われるものがあるとすれば、それは未来に彼と同じ運命をたどっていたかもしれない人々だ。

 目の前の苦難を今あるもので乗り切ったり回避したりできない場合、たとえ責任がなくとも、そこから導き出される結果はその人個人が引き受けることになる。引き受けるべきとは言わない。しかし、引き受けざるを得ない。責任はなくても結果は引き受けるしかない。

 彼が理解や安全や善意や良心を他者や社会に求めても、そこに救いはなかった。私にもどうすることもできない。

 

 終着駅はすぐそこまで来ている。彼の叫び声はまだ聞こえている。次に叫ぶのは誰なのかを想像して、私は身震いした。