不知火文庫

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水瀬優(断片・細部の追加修正が必要) 

 「最高の芸術は記録の中にはないんじゃないかしら」

 「どういうことですか」

 「知りたい」

 水瀬は私に尋ねた。私は静かに頷いた。

 「そう」

 彼女はそう呟くと私の方を向いて、すらりとした指を私の首にかけた。そして、私の背中へ回り込んだ。自分の首回りに彼女の雪のように白い腕が見える。この人は本当に美しい。私は首だけ後ろを向いて彼女の顔を見た。微笑んでいる。その表情はまるで子どものように無邪気だ。

 

 「最高の芸術というのはね、こういうことよ」

 そういうと彼女は私の首を絞めた。

 一気に息が詰まる。彼女を振りほどこうともがく。身体を押さえ込まれて動けない。一体彼女の細い身体のどこにこんな力が収まっているのか。必死にもがく。振りほどけない。意識が遠のく。身体に力が入らない。身体が熱い。このままでは彼女に殺されてしまう。なぜ彼女に殺されかけているのだ。私は一体ここで何をしているのだ。

 不意に嵐が台風の目に入るかのように、彼女の腕から私の首を絞める力が抜けた。身体の支えを失って、私は地面に倒れた。うまく呼吸することができない。喉をひゅうひゅう鳴らしながら私は酸素を求めた。

 「びっくりしたかしら。私は最高の芸術というのは、こういうものではないかと思うの」

 彼女は悪びれる風もなく私に笑顔を向けた。彼女を問い詰めたいが、声を出せず、低いうめき声だけが喉から漏れた。

 「生と死と殺害を当事者になって感じるその瞬間、その中に最高の芸術はあると思うの。出産もあればなお完璧かもしれないわね」

 何を言っているのかわからない。しかし、彼女はいたって涼しげな、普段と変わらない表情のままだ。全身の皮膚が張り詰めて粟立つ。まるで身体中に虫が這いまわっているようだ。冷たい汗が身体中から湧き出る。彼女は素面の状態で、本気でそう思っているのかもしれない。私は出せる力全てを振り絞って立ち上がり、全力で走って逃げた。彼女は笑顔で私を見つめるだけで、追いかけてくることはなかった。

 

 その日を境に、私は彼女との関わりを絶った。そして今、彼女は私の目の前にいる。あの時と同じ笑みを浮かべて。

 

※水瀬シリーズの断片です。ちなみに水瀬は登場人物の中で一、二を争う危険な人です。怖いですね。