不知火文庫

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 悪いことだとわかっていても手を染めなくてはならないことがある、と彼は言う。彼が言っていることはたぶん正しい。そういうときもあるだろう。禁忌されていることに手を染めざるを得ないような「枠組みの崩壊」は低い確率ではあるが常に起きる危険性を孕んでいる。

 私は彼の真意が知りたかった。彼は悪いことに手を染めることに対してどのくらいの理解と覚悟があるのだろうか。その行為がもたらす報いをどれほど予見しているのだろうか。失われるものは今あるものだけではない。未来で得られたかもしれないものを今回の選択によって失うかもしれない。そのことをどれくらい考慮しているのだろうか。

 「悪に染まることで失うものがある。それは理解しているのか」

 「たぶん理解し切れていない。ただ、悪に染まらずに生きていくことなどできない。いつかできなくなる。人生を白いままで過ごしたいなら、無知になるか白いうちに死ぬしかない」

 

 極端な考え方だが、確かにそうかもしれない。しかし、彼の言葉は私にはどこか投げやりに聞こえた。極端な選択肢を選択肢として心に秘めておくのは望ましいことだが、それはあらゆる手を尽くしてもどうしようもできないときのためのものだ。

 私には、彼が他の選択肢があるかもしれないうちから、最後の手段を当てにして逃げているようにみえた。今のまま悪に染まってしまえば、彼はこの先今よりもっと苦しくなるのではないか。

 一度悪に染まってしまえば、その後にどれだけ善を尽くしても悪に染まる前の自分に戻ることはできない。一生黒い過去を背負って生きていかなくてはならなくなる。自身の悪からは逃れられない。心に植え付けられた悪は、たとえそれがほんのわずかなものであっても、ここ一番のときに弱さが出る。自身を潔白だと断言することを難しくしてしまう。自身に植え付けられた疚しさ、後ろめたさ、後悔、懺悔、恐怖が宿主の力をそぎ落とす。そして、自らを白だと宣言して断行しなくてはならないとき、宿主に牙を剥く。

 悪が心と身体に染みつくほどに、保身と断行にかかるコストはどんどん高くなる。そして、それに連動してどんどん身動きがとりづらくなる。悪が悪を呼び寄せて、歯止めが利かなくなる危険性もある。彼はそのことを理解しているのだろうか。そして、覚悟できているのだろうか。 

 しかし、彼は私の話を聞いてはくれないだろう。逃げている自覚があろうとなかろうと、他にもできることがあるだろう、と他人から言われて素直に意見を聞き入れられるような者は、いきなりこんなに極端な選択肢を採ろうとはしない。

 

 「確かに君の言う通りかもしれない。ただ、一つだけ頼みがある。今この状況で、悪の道を採る必要が本当にあるのか、どうしても採らなくてはならないのか、最後にもう一度だけ、愛するものと君自身の心に問うてほしい」

 

 沈黙が漂う。彼が私を見つめている。彼は無言のまま、頷いた。そして、踵を返した。彼の影はどんどん薄く遠くなっていき、やがて見えなくなった。私は天に向かって大きなため息を吐いた。

 私は彼に適切な言葉をかけられなのだろうか。押し付けがましくなってしまわなかっただろうか。彼の人生の岐路を分けるかもしれない場で、私は適切に振る舞えていただろうか。

 人を最もよく導くのは逡巡と躊躇いであるという師の言葉を噛み締めて、私はもう一度、天に向かって深く大きなため息を吐いた。

 

〔追記〕

 いつも読んでくださっているみなさま、ありがとうございます。これからもゆるゆる頑張っていくのでよろしくお願いいたします。

 昨日勢いでsummer eyesを書き上げました。こちらもぜひご覧ください。

http://blackteahouse.hatenablog.com/entry/2017/08/28/235419