拝借
できないことをし続けると好ましくないほど疲弊する。できないものはできないし、向いていないことは向いていない。それでもなおできるようになろうとして特定のことに居着いてしまうと思考や感覚が麻痺し、さらに深いもやのなかに入り込んでしまう。
こんなときは一度その場から離れる。あなたが無理をせずとも、無理なくできる人やできるようになりそうな人はいる。その人に教えや助力を請えばいい。
できないことに関する突破口は、あなたの内側からだけではなく外側からももたらされることがある。自分でしようとするだけではなく、謙虚になって他の人に教えや助力を請えば苦難を未然に回避しやすくなる。大きな実りを得られることもあるかもしれない。
難しいこと、複雑なこと、理解できないこと、関心のないことだからといって諦めるべきだといっているわけではない。ただ、自分ができなくても他人の力を拝借すれば苦しまずに済むこと、乗り越えられるものがある。
謙虚に教えや助力を請える人でありたいものだ。
抹茶プリン
抹茶プリンを作ることにした。彼女に抹茶プリンを作ってほしいといわれているのだ。先日、試しに作ったが、甘ったるい上に生クリームが濃厚すぎた。今回はそれを改善するために生クリームと砂糖の量を減らし、牛乳を増やす。
また、彼女が好きだと言っていた「栗原さんちのおすそわけ」を参考にすることにした。この抹茶プリンにはレモンソースが入っている。これがプリンの甘ったるさや濃厚さをいい塩梅で抑えて、プリン全体を爽やかな味わいにしているらしい。
まずは材料を揃える。
(抹茶プリン本体)
○生クリーム150ml
○牛乳250ml
○抹茶大さじ2
○三温糖30g
○ゼラチン5g
○水大さじ2
(レモンシロップ)
○砂糖50g
○水100ml
○レモン汁大さじ3
すべてキッチンにあるあり合わせのもので間に合った。
少し不安なのがゼラチンだ。私はゼラチンを溶かすのが苦手だ。前回もうまく溶かし切れずに塊が残ってしまった。今回はそういうことにならないように、事前に熱湯である程度ゼラチンを溶かしてから加熱した生クリームと牛乳の混合物に入れることにする。
材料を混ぜ合わせたものを型金に流し込んで冷蔵庫で冷やす。数時間経過して形が固まったところでレモンソースをかけて一口食べてみた。
うまい。甘さと濃厚さがまだ少しきつい気はするが、前回よりは格段に口当たりがよくなっている。甘さと濃厚さがレモンの爽やかな酸味によってかなり抑えられている。これならば型金一つ分くらいならばさらりと食べられそうだ。
翌日、自分以外の人に味を評価してもらうために、抹茶プリンを職場へ持って行った。抹茶プリンは職場でも好評だった。プリンだけで食べるよりもレモンソースをかけた方が爽やかさが加わって味全体のバランスがよい、と絶賛された。
まだまだ改訂の余地はあるものの、このレシピは一つの目安になりそうなのでメモに記録する。早くこのレシピで彼女に抹茶プリンを作ってあげたい。
炭酸風呂
炭酸風呂を試すことにした。炭酸風呂に入ると血流がよくなるらしい。
二酸化炭素が毛穴から体内へ入る。すると、血液中の二酸化酸素の濃度が高まり、血管内が一時的な酸欠状態になる。身体はその酸欠状態を解消しようとして、より多くの酸素を送ろうと血流を多くする。その結果、身体の隅々まで血液が届けられるようになるので代謝が上がる。
本当かどうかはわからないが、体感的にはそうかもしれないという気はする。仮にあまり効果がなかったとしても炭酸でしゅわしゅわしている湯に浸かるのは気持ちいい。それだけでも試してみる価値はある。
化学反応式は
C(CH2COOH)2(COOH)OH+3NaHCO3→C(CH2COONa)2(COONa)OH+3H2O+3CO2
クエン酸:C(CH2COOH)2(COOH)OH 重曹:NaHCO3
化学反応式より、クエン酸1分子に対して重曹は3分子あるときに過不足なく反応が生じる。クエン酸の分子量は約192、重曹の分子量は約84なので、最適な重量混合比率は192:84×3。だいたいクエン酸1に対して重曹1.3を加えたものを湯舟に放り込むと効率的に二酸化炭素を出すことができる。
クエン酸200gが完全に反応したときに発生する二酸化炭素の体積は約70リットル。この程度ならば一気に反応してもさほど危険ではないだろう。クエン酸200gに重曹をその1.3倍の260g量りとって混ぜ合わせる。
浴槽の栓を閉め、蛇口を捻って湯を入れる。十分ほどすると、浴槽に十分と思われる量の湯が溜まった。衣服を脱ぎ、適切な比率で混ぜたクエン酸と重曹を持って浴室に入る。湯船に浸かる。じわりと身体の表面に熱が伝わる。じりじりと身体の中心に向かって熱が伝わっていく。心地よい。温度は40度といったところだろうか。炭酸風呂を試すのにも適した温度だろう。
その瞬間、水面の少し下から爆発的に二酸化炭素が発生した。ものすごい量と大きさの泡が湧き立つ。驚いて身体を起こそうとするが、思い切り身体を後に倒していたためなかなか起き上がれない。
呼吸がひどく速くなる。苦しさはあまりないが、全力疾走した後と同じ程度か、あるいはそれ以上に呼吸が荒い。これは、軽い酸欠かもしれない。二酸化炭素の発生が落ち着くまでの30秒程度の間、呼吸の荒い状態が続いた。
また、このとき、鼻と喉のあたりが非常に酸っぱく感じた。この酸っぱさは、間違えて塩酸入り溶液を減圧沸騰させて実験室内に塩酸をばらまいてしまったときに感じたものとほぼ同じだ。塩酸の方がはるかに強烈だったとはいえかなりの刺激だ。
二酸化炭素の発生がおさまった後は落ち着いて入浴することができた。湯は少しとろみがあって皮膚の上を滑らかに滑って心地よい。二酸化炭素の気泡はしゅわしゅわと肌の上を転がったりまとわりついたりする。これもまた心地よい。私は身体についたその気泡を手でなぞって一気にはがしてみた。これは入浴剤を使ったときにもついしてしまう、子どものころからのくせだ。楽しい。また、耳を澄ませば泡が弾ける小気味よい音が聞こえてくる。あっという間に15分程度の時間が過ぎた。
浴槽から上がると、いつもよりも身体が芯から温まっているような気がした。真夏の暑い時期だから汗が引くまでに余分な時間がかかってしまうことになったが、それでもいい気分だ。楽しく身体をよく温めることができる。これからもときどきはこの方法で入浴しよう。ただし、クエン酸と重曹を湯船に浸かる前に入れて。
π
次に何がやってくるかは誰にもわからない。1だろうか。2だろうか。3?4?それとも……。次に何がやってくるかわからない。永遠の謎だ。
πはどこまで行っても解けることのない謎を持っている。現実的な観点からいえば、少なくとも日常生活や科学の世界において小数点以下10桁を超えるような精度はほとんど不要だ。小数点以下10桁まで明らかになった時点で研究することをやめてしまっても大した不都合は生じなかったかもしれない。数学的手法の発見がされなかったり、遅れたりすることになったかもしれないが、別の経路を経由して似たような知見は得られていただろう。
何ならば今すぐやめてしまってもいいのだ。しかし、きっと人類はそうしない。これからもやめることはないだろう。研究が衰退することはあるかもしれないが、知見が退化することはない。前に進むことはあっても後ろに戻ることはない。
解けることのない謎が含まれるのはπだけではない。人生も世界も、そしておそらく何もかもが永遠に解けない謎を抱えている。それらに対しても、人類は貪欲に理解しようとする。
しかし。理解したからといって謎は解けない。理解することで解き明かされる謎は一部分だけで、解けた謎の一部分が我々に教えてくれるものは答えではない。傾向だ。謎はいつまでも残る。
それでも人類は先へ進もうとする。解けないと半ば理解していても必要な分以上に突き詰めようとする。何故人類は先に進むことを選ぶのだろう。先に進まずにいた方が幸せになれる可能性を考慮してもなお進もうとしているのだろうか。単純な好奇心、あるいは「わからない」という状態を忌避したいという願望がそうさせるのだろうか。それとも、何か他の理由があるのだろうか。人類が先へ進もうとする理由もまた、解けることのない謎なのかもしれない。