不知火文庫

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聖域

 聖域とは何だろうか。ある辞書曰く、侵してはならない神聖な場所・区域、という意味らしい。侵せない、ではなく侵してはならない、というところに聖域の性質が垣間見えるように思える。 侵すことは簡単で、侵されないように保護しなくては存在することが困難なもの。それが聖域というものではないか。 

 

 聖なるもの、尊いものが在る空間。

 おそらく聖域はあるものが「在る」空間ではなく、あるものが「ない」空間のことではないか。私はあるものとは抽象的には「よくないもの・不快なもの」だと思う。聖域はよいものを集めても発生するのではなく、よくないものを取り除かれることで発生する。空間がどれほどよいものに満たされていても、そこにひとつでも強い不快感をもたらすものが混入すれば、その空間は浄化された心地よい空間でなくなる。よいものを集めることは聖域ができた際の純度や格式を高めることはあっても、聖域そのものを生み出すことには貢献しない。

 

  塗香は聖域を作りだすためにする工夫のよい例かもしれない。塗香は身を清めるためにあるというが、おそらくこれにはもっと具体的かつ明確な理由がある。

 そのうちの一つは聴覚に煩わされるのを避けるためではないだろうか。僧が人里離れた森の中で修行する際、視覚、味覚、嗅覚、触覚に関する不快な信号の回避は、おそらく場所を変えるだけで事足りる。しかし、聴覚だけはそうはいかない。虫が周囲を飛び交う雑音等は、場所を変えるだけでは回避しきれない。

 五感全ての不快な信号を極限まで減らせないと、修行に適した聖域は完成しない。その最後の関門が聴覚だった。おそらく、昔の僧たちは修行に集中するために塗香を虫除けとして身体に塗ったのではないか。

 

【追記】

 必要なものは拵えておくべきだが、必要でないものはたとえ良いものであってもほとんど聖域の形成には貢献しない。ものは必要十分のものが備わった状態に近づけておくことが望ましいのかもしれない。