不知火文庫

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永遠桜

 桜の優しい香りが漂う。桜の木の下、淡く青い花びらが広がる。その日、一斉に永遠桜が咲き始めた。それは二人の願いが叶うこととお互いが別れる運命にあることを意味していた。

 「桜、咲いたね。」

 「うん、咲いたね。」

 永遠に咲き続けるといわれる桜が咲いた。それは私の時間が止まること、世界が閉じてしまうことを意味していた。残された時間はあと少しだ。世界が閉じると、この世界は私だけの世界になる。この世界に彼女が存在できる時間は残りわずかだ。彼女が世界から締め出されていく。

 自然と笑顔がこぼれる。私たちは互いに微笑みあった。永遠の別れになるかもしれないのに笑うことができるのは、これが死の別れではないからだろうか。

 どうすることもできないことはわかっている。それにお互いの願いは叶っている。何かが胸の奥でわずかにざわつくが、笑顔で別れることができそうだ。

 ここは私の世界の残骸。私以外の者にとっては無に収束していくだけの世界。彼女に必要なもの、彼女の大切なものはここには残らない。彼女がここに留まっても、この世界は彼女を受け入れてはくれない。

 だから、このまま別れる方がいい。お互いを美しく思い出にできる。美しいままでいられる。この世界に彼女が残れば、美しくない現実が山のように襲い掛かってくるだろう。今までに築き上げたものをすべて手放してまで、この希望のない世界に彼女が留まることはよいことだとは思えなかった。

 彼女はこの世界の仕組みを納得し、受け入れようとした。私も彼女が留まってくれれば、とどまる方法があれば、と願った。しかし、人が苦難を受け入れられるのは希望があるときだけだ。彼女がこの世界に受け入れられる希望は最初から存在しない。現実が見えるほどに苦しくなるだろう。逃げる場所も解決する方法もなく、すり減りながら生きていくしかない。この世界に残るには耐え続けるしかないのだ。

 彼女がこの世界に留まりたいと願う気持ちは今も本物だろう。しかし、この先もずっとそう思い続けられるかというと、私はそうは思えない。それでもよいと彼女は言った。確かに、二人でお互いの後悔や痛みをともに背負うことはできるかもしれない。しかし、そうすることが幸せなのか、私には確信を持てなかった。おそらく違うのではないかとさえ思った。私は彼女が自分の閉じた世界に留まるという選択に幸せを確信できなかった。

 自分の弱さを言い訳しているだけだということは自分でも理解している。本気でともに生きたいと願うものは、きっとこんな風に格好をつけたり体の良い理由を言ったりしない。だが、本気がいつまで続くかわからず、仮に本気が一生続いたとしても、苦難に耐え忍ぶだけの愛になるかもしれないならば、私は私の世界で、彼女は彼女の世界で、生きていく方がいい。

 

 永遠桜が一気に咲き誇る。満開が近づき、別れのときを告げている。別れを惜しむかのように、風に吹かれて一輪の桜が散った。

 

 もしまた会えるならば、そのときは……

 

 彼女はもうそこにはいない。桜が香る木の下、ただ、青い桜と、彼女の髪飾りだけが私のもとに残った。