当事者意識
当事者であるという認識がないものは策を講じることよりも誰かのせいにすることに労力をかける。自分が当事者だと認識していれば、そうはならないはずだ。
自分を当事者だと認識している人の言葉は立て板に水というようにはならない。当事者であれば少なからず言葉に躊躇いと迷いが混じり、たいていの場合訥々とした語りになる。滔々と語り続けられるのは、自分には関係がないと思っているからだろう。自分が当事者だと認識していれば、そんなことをすれば胸が痛んでたまらなくなるはずだ。
たとえ本当に関係がない場合でも当時者となって義務と責任を負わなくてはならないことがある。それを受け入れられない人はいつまで経っても子どものままだ。
〔追記〕
講釈や屁理屈を垂れる人が疎まれる理由は、当時者意識の欠如が見え隠れしているからかもしれない。